This article was initially published in English and has been translated into Japanese. Due to nuances in translating into a foreign language, slight differences may exist. The original document in English is available here.

35 U.S.C. § 116(a)によれば、「2 以上の人が共同して発明を行った場合は,…発明者は,(1) それらの者が物理的に一緒に又は同時に仕事をしていなかった場合,(2) 各人がした貢献の種類又は程度が同じでない場合,又は(3) 各人がした貢献が特許に係るすべてのクレームの主題に及んではいない場合であっても,共同して特許出願をすることができる。」とされている。連邦巡回裁判所は、Dana-Farber Cancer Institute, Inc. v. Ono Pharmaceutical Co., LTD (Fed. Cir. July 14, 2020)事件において、共同発明者として認められるために必要な貢献について検討した。

1990年代初頭、本庶佑博士はPD-1を発見した。これは免疫細胞の一種であるT細胞の表面に見られるタンパク質で、体内の免疫反応を調節する機能を有している。1998年頃、本庶博士、ウッド博士及びフリーマン博士は、共同研究を行い、癌治療研究に関する情報を交換した。1999年、ウッド博士及びフリーマン博士は、仮特許出願を行い、PD-1 / PD-L1経路の活性化又は遮断を介した免疫反応の調節を開示したが、本庶博士は発明者の中に含まれていなかった。2000年3月から4月にかけて、本庶博士、フリーマン博士及びウッド博士は、PD-L1に関する発見についての記事を共同執筆し、一部の腫瘍はPD-L1を用いて免疫反応を抑制している可能性があることを明らかにした。2000年6月、本庶博士は1999年の仮特許出願について知り、後にその共同発明者として加わろうとしたが認められなかった。

2000年10月に上記の記事が公開されたときには、本庶博士は、フリーマン博士及びウッド博士との情報共有をやめていた。この頃、本庶博士は、ノックアウト(遺伝子組み換え)マウス実験のデータを岩井博士から受け取り、発明の着想に至るも、フリーマン博士及びウッド博士はこれらの実験に参加していなかった。この発明は、大まかに言うと、PD-1又はPD-L1遮断抗体を使用してPD-1 / PD-L1経路を阻害し、それによりT細胞に免疫反応を活性化させ、免疫系が癌細胞を攻撃することを可能にする癌の治療法に関係するものである。2002年、本庶博士は日本で独自に特許出願を行い、ノックアウトマウス実験の結果を開示した。この特許出願では、PD-L1についての特許請求はされておらず、また、フリーマン博士及びウッド博士は共同発明者の中に含まれていなかった。

2015年、フリーマン博士の発明者としての権利の譲受人であるダナ・ファーバー癌研究所は、上記の本庶博士の特許の発明者にフリーマン博士及びウッド博士を加える必要があると主張して、本庶博士の前記日本出願に基づく米国特許の発明者としてフリーマン博士とウッド博士を加える必要があると主張して該米国特許の譲受人である小野薬品を米国の地方裁判所に訴えた。地方裁判所は、フリーマン博士及びウッド博士による貢献を考慮し、彼らは共同発明者に含まれるべきと判断した。

控訴審において、小野薬品は、フリーマン博士及びウッド博士の貢献は請求対象の特許の主題から遠く離れ過ぎていると主張した。しかし、連邦巡回控訴裁判所はこの主張を受け入れず、「法律及び判例法から、共同発明者は、着想のすべての側面に貢献している必要はないことは明らかである。…フリーマン博士及びウッド博士は、請求対象の発明の着想につながったすべての実験に立会い、又は参加したわけではないが、本庶博士との協力を通じた全体的な貢献が否定されるものではない。」と述べた。

小野薬品はまた、「本庶博士、フリーマン博士及びウッド博士が協力した研究は、2000年10月のノックアウトマウスの研究までは思弁的なものにすぎなかった。」と主張した。連邦巡回裁判所は、この主張にも合意せず、「当業者が発明を理解するのに十分なアイデアが明確で永続的である場合に着想は完成したのであり…さらに、フリーマン博士がヒトの腫瘍上でのPD-L1の発現を示し、且つ本庶博士がPD-L1の発現が腫瘍の成長を引き起こすことを示した後に岩井博士の研究が行われたことは、記録から明らかであり、事実上ヒトの癌治療におけるPD-L1の潜在的な有用性は、岩井博士の研究前にフリーマン博士と共同で開発されていた。」と述べた。

また小野薬品は、フリーマン博士及びウッド博士によって出願された1999年の仮出願は特許化されているため、本庶博士の特許にとって彼らの貢献は重要ではなかったと主張した。連邦巡回裁判所は、この主張にも同意せず、「共同作業及び協調努力こそが、共同発明者性につながるものである。…仮出願との比較における今回特許請求された発明の新規性及び非自明性は、本庶博士、フリーマン博士及びウッド博士の共同の研究努力がこの裁判で主張されている発明につながったかどうか並びに各研究者の貢献が発明の着想に重要であったかどうかを証明するものではない。」と述べた。

最後に、小野薬品は、フリーマン博士及びウッド博士の貢献は発明の着想前に公開されていたのであるから、着想への重要な貢献には該当しないと主張した。連邦巡回裁判所は、またもこの主張に合意せず、「複雑な発明における発明者性は、着想への長期にわたる部分的な貢献に左右される場合があり」、「複雑な発明の一部の公開は、その発明の共同発明者性を必ずしも無効にするものではない。」と述べた。

この事件は、米国特許法第116条(a)項に基づく共同発明者性を裏付ける可能性のある事例の重要な範囲を明らかにしており、次のことを認識していると言える。1)共同発明者は、着想のすべての側面に貢献する必要はない、2)共同発明者の着想への貢献は、当該貢献がなされた時に確証され、又は実証される必要はない、3)共同発明者による従前の技術貢献と比較して、全体としての発明が新規又は非自明であるかどうかは、共同発明者性を決定する上で、共同発明者の貢献が重要であったか否かを証明するものではない、4)共同発明者による貢献に関する公開は、共同発明者性を否定するものではない。



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